患者の視点:リリーアンの心臓
医療パッケージングの世界で働く私たちは、医療機器、ひいてはそれを必要とする患者を守る責任があることを理解していました。しかし、その責任と理解は、娘のリリーアンのことで私にとってまったく新しい意味を持つようになりました。娘の話を共有することで、皆さまが行っていることが「ただのパッケージング」以上のものであり、皆さまが下したすべての決断が患者を救い、家族に影響を与える可能性があることを思い出してもらえたらと思います。
すべてが変わった日
スティーブと私は、妊娠20週目の超音波検査に臨みました。ただの通過点としか思っていませんでした。すでに夢見ていた小さな女の子にまた会える機会だと。超音波技師は、プローブを私のお腹の上で動かしながら気さくに話しかけ、小さな手や長い脚、背骨のなだらかなカーブを指し示してくれました。彼女の声が話の途中で途切れた時、私はすぐに異変に気づきました。
私の専門は生物学と医用生体工学です。解剖学を理解しており、超音波検査中の沈黙がしばしば何を意味するのかも分かっていました。彼女の視点はある一か所に釘付けでした。心臓です。私は画面上のちらつく影を見つめながら、その形状を読み取ろうとしました。胸には静かな重さが広がり、自分の鼓動が耳の中でいっそう大きく聞こえてきました。最後に、彼女は優しく言いました「超音波検査は終わりました。医師とお話しできるよう、別の部屋へ移動してください」。その瞬間、私は悟りました。
未知のこと
その後すぐに医師が部屋に入ってきました。医師が身につけるよう学ぶ、慎重ながらも楽観的な雰囲気を漂わせていました。彼女は、胎児の身体構造の一部、特に心臓が視覚化しにくいため、母体胎児医学の専門医による検査を推奨すると説明しました。
診療室を出た瞬間から、本当の恐怖が始まりました。不確実なものに直面している多くの親と同じように、私は最悪の行動をとりました。リサーチをしたのです。数分のうちに、私は医学雑誌、親向けフォーラム、そして悲痛な話の数々に溺れていました。何度も開胸手術を受ける幼児。娘のために思い描いていた未来が崩れ始めました。
恐怖の名前
数週間後、私たちは恐怖と希望を同じくらい抱えながら母体胎児科クリニックに足を踏み入れました。いくつかの検査の後、私たちの恐怖についに名前がつけられました。ファロー四徴症でした。ファロー四徴症は、心臓を通る血流に影響する4つの構造的問題からなる、まれな先天性心疾患です。血液が運ぶ酸素が少ないため、この病気を持って生まれた赤ちゃんは青色や灰色に見えることがあります。この診察中に、ファロー四徴症と診断されたすべての子どもはいずれ心臓手術が必要になり、最終的には生涯にわたる心臓ケアが必要になることを知りました。
それを聞いて恐ろしくなりましたが、不思議なことに、安堵感も覚えました。未知であったものが、具体的になり、理解でき、治療できるものだとわかったからです。それでも、不確かさは消えませんでした。赤ちゃんの中には、出生直後に手術を必要とする子がいます。数ヶ月待てる赤ちゃんもいます。娘の歩む道は、娘が生まれるまでわかりません。私にとっては、その瞬間から妊娠生活が変わりました。毎週の経過観察、何度も行われるスキャン、そして診察のたびに浮かぶ口には出さない質問、「娘は今日は大丈夫?」。 私たちの出産計画も変わり、娘のような赤ちゃんたちを受け入れられる専門家がいるミシガン大学で出産する必要があると言われました。私たちの生活は、まだ抱いたこともない心臓を中心に、ゆっくりと組み替えられていきました。
すべてが再び変わったとき
11月10日、娘のリリーアンが生まれました。医療チームによる検査の後、心強い知らせが次々と届きました。娘は誰もが予想していたよりも強く、ここ数か月で初めて、私たちは息をつくことができました。リリーアンはすぐに手術を受ける必要はありませんでした。代わりに医師は、彼女がもっと大きく強くなるまで待てると考え、修復手術が成功する可能性が高まると見ていました。手術は5月に予定されました。
しばらくの間、私たちは時間という贈り物を与えられたように感じました。しかし、ファロー四徴症では、血液中の酸素飽和度が前触れもなく急低下する、「チアノーゼ発作」という突然の発作が起こり得ます。これに前もって備える術はありません。
2月、私たちは何かが違うことに気づきました。リリーアンは、いつもと違う泣き方をするようになりました。この発作は、より激しく、より不安をかき立てるものでした。彼女の体はもがいているように見え、彼女が出す声は、親だけが気づく程度に何かがおかしいと感じられました。私たちはそれを「リリー発作」と呼ぶようになりました。発作は1週間に数回起こりました。そのたびに、私たちの不安は増していきました。結局、医師に電話して、起きていることを説明しました。返事は「それは確認しなくては」でした。受診時に詳しい検査が行われました。その時、事実を知りました。リリーアンはただいつもと違う泣き方をしていただけではありませんでした。チアノーゼ発作を起こしていたのです。
医師は私たちに率直に話してくれました。手術まで、思っていたほど時間の猶予がないかもしれないと。ミシガン大学病院の救急外来をすぐに受診するよう言われました。ミシガン州アナーバーの心臓チームには、私たちが向かっていることが知らされました。到着したとき、リリーアンはまた発作を起こしました。今度は医師たちも発作をその場で目にしました。私たちは奥へと急いで連れていかれ、娘にはすぐにモニターが装着されました。それから数値を見ました。娘の酸素飽和度は40%台前半でした。参考までに言うと、90%未満は臨床的に重要で、潜在的に危険な状態とみなされます。その瞬間、私たちは当分家には帰れないと悟りました。
リリーアンは小児心臓集中治療室に入院しました。病院での生活は「普通」の定義を塗り替えます。授乳がうまくいけば、それは勝利。数値が安定すれば、お祝い気分。生活の範囲は、病室のサイズに狭められます。その夜、私たちは医師たちと面談しました。担当外科医と相談して、リリーアンの修復術を翌朝行うことになりました。
外科医は、手術の一つ一つの手順を丁寧に説明してくれました。彼女がリリーアンの心臓を修復するパッチや縫合糸について説明するのを聞きながら、私は、それらの小さなパーツが彼女のもとに届くまでにたどった長い道のりのことを考えました。保護され、滅菌され、外科医が手を伸ばしたその瞬間に使えるよう準備されているパーツです。自信に満ちた態度の外科医に、私たちは全幅の信頼を寄せました。麻酔の準備のためにリリーアンを引き渡すのは、とても不思議な感じがしました。
手術は4時間続くと予想されていました。そして最初の知らせを受けました。手術は完了し、彼女は人工心肺から離脱し、順調でした。希望がそっと芽生えてきました。ようやく外科医が私たちのほうへ歩み寄り、微笑みました。リリーアンは無事に手術を乗り超えたのです。彼女の心臓は修復され、閉塞性の筋肉が除去され、欠損していた部分も閉じられ、血流が回復しました。
回復の間、リリーアンは再び想像以上に強いことを証明し、治癒の過程は驚くほど順調に見えました。
無事帰宅
約2週間入院した後、モニターが1つずつ外され、看護師たちからは別れが告げられました。リリーアンを抱いて病院を出ると、非現実的な感じがしました。私たちが一緒に外に足を踏み出すと、ある静かな事実が心に染み入ってきました。娘の物語は始まったばかりだということ。
人生におけるこの出来事は、仕事についての私のる理解を永遠に変えました。医療パッケージングとは、単なるパッケージングではありません。最も重要な瞬間における信頼と確実性です。それは、一刻を争う命の危険が迫っているときに、私たちが医師に与える自信です。それは、自分たちは決して目にすることはないにもかかわらず、家族が一縷の望みを託す、静かな安心です。
どこかで、別の親が待合室に座って、外科医が手術をしている間、息を詰めて待っています。彼らが私たちの名前を知ることはないかもしれません。彼らは、我が子を救ったものを保護するパウチ、トレイ、シールを目にすることはないかもしれません。それでも、私たちの仕事は非常に重要です。